- 一番目のT社について(30年)
- 二番目のA社について(1年)
- 三番目のK安定所について(6年)
- 四番目のKR共済組合について(5年)
一番目のT社について(30年)
その1・・・会社概要
大学を卒業して最初に入社したのがT 社であった。
チャレンジした企業は5社あったが、学歴で門前払いを
受けたS社(上場企業)は、今でも忘れられない。
門前払いとは、書類審査で落とされたことである。
当時の気持ちは、この会社を見返してやろうであった。
しかし入社したT社は当時未上場であったが、現在1部上場企業に
成長して、S社を超えた大企業になっている。
この会社の素晴らしい点は3つある。
一つは、社員教育に力を入れている事。
一つは、年功序列ではなく実力主義であること。
一つは、積極的に関連事業を新規開拓していく力強さである。
簡単に会社の紹介をすると総合建材メーカー(サッシ・ドアー等)です。
その2・・・業務内容
私が最初に配属された部署は商品部である。商品部は特注品・部品の
受注から商品販促企画、商品の生産管理、品質管理(クレーム処理含)と
納期管理まで一貫して行う部署でした。試用期間では、工場での製造研修
やら工場から倉庫への配送等を半年しました。その後、正社員登用試験に
合格し、商品担当になりました。この部署の製造は外注工場がメインで
主力のドアー商品のみ内作していました。
入ってから約10年その部署に在籍し、その後部署が廃止になると
同時に初めての転勤となりました。今まで東京の本社に在籍していたのですが生産本部への異動となり勤務場所は千葉県(工場)になりました。生産本部の計画課への配属です。ここは新製品の生産工場決定から生産計画~在庫管理~納期管理(欠品対応)~商品切替計画~広範囲の生産管理を行うところになります。生産本部の中枢の部署に異動になりそこで又5年が経つ
その後、会社の一大プロジェクトに選抜され、3年間物流改革プロジェクトに従事した。市場マーケティング調査から始まり、物流システムの構築まで行った。
それから営業が管理していた物流部門を生産本部管轄になったのを機に
そこに異動となる。今までの営業の放漫管理からの脱却を図り、物流事業の
改善に取り組みことになった。ここには最終的に3年勤務することになった。
そして新たな組織変更により今迄営業が管理していた流通加工の分野を生産本部が管轄することになり、その管理を行う子会社の設立準備に従事する事に。それから会社の設立及び業務分掌や業務マニュアル等の作成に従事した。
その後、本部勤務から現場勤務に転勤となりました。配属先は物流センター所長勤務となります。今まで本社勤務しか経験はなかったのですが、ここでは初めて100人の従業員(業務委託人員含む)を管理する責任者になりました。現場では、いろいろ経験させて頂きました。物流部門なので実質は委託先の外注管理が主になりますが社員も約20人おり社員育成も主な役割でした。自分はここでは初の単身赴任での就業になり、それなりに大きな経験を持つことになりました。ここでは6年の単身赴任を経験しました。
そして本社に戻りグループ会社の物流管理の仕事に就くことになりました。グループ会社での物流は、今までの物流とは違い外部委託でおこなっていました。即ち外注管理が主な仕事になります。ここでは自分の活躍のシーンはあまりなく、先に設立した子会社への転勤が決まりました。
単身赴任2回目なので、前回よりもスムーズに異動ができました。がしかし子会社の役員としての就業なので、今までと同じような分けにはいきません。赤字の子会社を黒字化させることが使命なのですから。子会社の常務として、従業員管理や5か所ある拠点の管理など今迄と違った責任に身が引き締まりました。最終的にここで体調を壊し、志半ばでリタイアを余儀なくされました。その後、半年間休職し本社への復帰となります。
復帰後は、別会社への出向となりました。ここで1年物流改革企画の仕事を担いました。それから本社より早期退職制度による退職勧奨が有り、30年間務めた会社を辞することになりました。長くも有り、短くも感じる期間でした。
その3・・・30年間で学んだ事
30年もの間お世話になった会社なので、その人脈は今でも続いております。尊敬している上司や同僚がそれです。自分の人生でも誇れる成果はその人間関係かもしれません。この会社での創業社長の偉大さが今も思い返されます。社長自身は病気の為、小学校しか出ておらず独学で学んだ知識や知恵だけで親から引き継いだ会社を超大企業迄に成長させました。そう就業時点の売上高が1000億から退職時には1兆円を超えていたのですから10倍もの規模の会社に変貌させたのです。特に特筆する社長の考え方は、社員教育に力を注いだことです。自分だけでも、その教育のお陰で生産管理に必須のIEの資格や、QC・ISO等数えられない教えを学ぶ事ができました。「企業は社員の成長なくして、成長なし」の考えが大きかったと思います。ここで自分の人生の大半を過ごすことができたのは、本当に幸せでした。ここで学んだ事をその後の仕事で生かすことができたからです。
二番目のA社について(1年)
その1・・・会社概要
次に就職したA社は、就職支援会社の紹介で就職した会社になります。自分の経験を活かせる会社との事で、DMの発送代行~BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)~雑誌のビニール封入封緘・発送~物流代行等を手掛ける会社です。他社の業務を委託される会社になるので、ISO9001・ISMS・Pマーク等取得しており、セキュリティ管理の厳しい会社になります。自社で派遣会社も運営しており、その派遣会社から自社に勤めている人も多くいます。この会社も人材育成に力をいれており、躍進している会社になります。創業社長についで2代目の社長になりますが、積極経営で成長している会社になります。
その2・・・業務内容
この会社では、物流関係の仕事ではなく生産管理を行っている業務部に配属されました。取り急ぎ、配車手配や、工程の進捗管理、外注管理、パレット管理等の仕事がメインになります。又、今までの経験を活かし、品質管理の仕事もサポートしていました。ISO9001では前の会社で取得した内部監査員の資格を生かして事前監査等しました。
その3・・・1年間で学んだ事
この会社では管理職を期待されていたのですが、自分自身は管理職よりライン業務を希望ししていたので、そのギャップにより1年の短期間で退職することになりました。他にも、会社への通勤時間が2時間と長く、残業で遅くなると電車の終電に間に合わず帰れなくなった事も何度かありました。この会社の通勤時間はわかっていた事でしたが、実際そうなってみるとやはり問題がありました。この会社を辞めた半年後に、配属先の課長から再度就業要請があり、半年ほど働きましたが、やはり継続する事は出来ませんでした。でも情報セキュリティ管理会社の実態を知ったことは、今後に役立ったと思っています。
三番目のK安定所について(6年)
その1・・・安定所概要
K安定所は、今でいうハローワークの事である。自分が職業相談をしている時に相談員の方から、東日本大震災により避難して来ている被災者就職支援の募集をKハローワークでしているので応募してみないかと誘われたのが、きっかけとなった。特に自信はなかったが総務・人事関係の仕事も前職でかじっていたので応募することにした。すると応募者が少なかったせいかすんなり就職が決まった。しかしながら当初予定していた、避難者の大半が帰郷してしまい自分は早期就職支援サポーターに役割が変わってしまった。
その2・・・業務内容
その主な役割は3か月以内に就職を希望する人の個人サポーターとして職業相談を受け持つ事になりました。新規求職者登録をした方を中心に声掛けしサポートしていきました。ピーク時は20人程度受け持つようになりました。お陰で毎日のスケジュールは結構早く埋まりました。それとサポーターとは別に就職セミナーの開催や雇用保険説明会でのハローワークの利用方法などの説明等を行いました。又、開催場所はK安定所以外にも出張所が新規にできた事によりセミナーの出張開催などもしました。就職セミナーでは主に履歴書の書き方や職務経歴書の書き方、面接の受け方等を教えておりました。安定所の中に職務経歴書の書き方や面接の仕方については、厚生労働省が作成したビデオがあるので、それを視聴してもらいました。履歴書の書き方については、ビデオが無かったので自分でパワーポイントの資料を作り説明しておりました。日々の職業相談ではPCで職業相談履歴や紹介状発行等が出来るものを使っていました。その間、いろんな相談者がおりました。
その3・・・学んだ事
相談員と云う仕事は人が相手なので自ずと同じ内容にはならない。人それぞれ悩みはいろいろあると思うからである。若い方で職業経験が少ない相談者には、スキルを身に着けてから就職するようにアドバイスしたり、60歳を過ぎた方には、求人動向を説明して職種を勧めたりである。又、35歳で転職を希望される方には、自分の今迄の職務経歴のアピールの仕方や目面接の応答方法等のアドバイスを行う。但し、一番困るのはうつ症の方の相談だった。何を助言しても、受け入れず頑なに自分の殻に閉じこもる。こう云う方には、先ず病気を治してから働くように話すしかない。この仕事は求職者の再就職が決まった時が一番やりがいを感じる。本人のこれからを祝して、新しい会社への心構えを説いて送り出す。しかしながら、やはり対人関係では、毎日ストレスが溜まることになる。結局、6年で仕事を辞めることになった。
四番目のKR共済組合について(5年)
その1・・・KR共済組合概要
この職場は元々、派遣会社で1年半仕事をやり、その後契約社員として最終就職した職場である。ここは組合員の社会保険、福利厚生等を行うところになる。自分は、その中で厚生年金請求書の審査を担当することになった。主な内容として請求書や添付資料の不備チェック等を行い、不備があれば不備連絡等を行う。自分の担当の対象範囲は特別支給の厚生年金が対象となる。これは年金が65歳支給に延長された事に伴い、経過処置として支給されるものである。だから61歳~64歳までの支給となる。今年は64歳の方が対象になる。
その2・・・業務内容
派遣社員の時は審査の対象範囲が狭く簡単であったが、契約社員になってからは遺族・障害年金との併給者や非居住者や受給権が発生したのち組合員になった方も対象となり業務内容は複雑になった。それと毎年年金制度の改定があるので審査内容も随時対応していかねばならない。又、審査にミスがあるとクレーム対応も合わせてしなければならないので、より業務の正確性や品質管理・生産性向上等の課題が出てくる。社員との業務格差はあまりない。
その3・・・学んだ事
この職場でコロナ感染を迎えることになり大変な思いをした。非常事態宣言がされた時には、在宅勤務や時差出勤、休日出勤等変則的な対応を余儀なくされた。3密対策が主なものであるが、座席変更で5階から6階に移動になった。冬の寒い時でも換気を取るので、窓を開けていた。風邪を引かないか気が気でなかった。この間業務は大幅に滞り、通常2~3か月の事務処理が3~4か月と時間が掛かる有様であった。お陰で、組合員からの年金支給の督促の問い合わせも大幅に増え、特別対応など本来ならしなくてよい業務をすることになった。